『ペルソナ』とは、現代日本の街や高校を舞台に、「ペルソナ能力」に目覚めた少年少女たちが出会い、さまざまな事件や困難に立ち向かって成長していくジュブナイルRPGシリーズ。学校生活や友情、恋愛などの“身近な出来事”をベースに描かれると同時に、噂や都市伝説、不可思議な事件や社会の闇 など、オカルトなテイストが盛り込まれ、ミステリアスな魅力で多くのファンを魅了してきた。 (ペルソナ5 公式サイトより引用)

少年少女たちを主人公にしたRPGは日本にたくさんあります。同じく友情、恋愛などの身近な出来事を盛り込んだ作品も。では、こうした核となる部分を、「ファンタジー」という世界観に放り込むとどうなるか。それはしばしばライト・ファンタジーとも呼ばれ、典型的な“JRPG”となる可能性が高そうです(実際の作品がどうか、という話ではなく、そう見られるということ)。

前掲の『ペルソナ』シリーズは、「現代」の「日本」の街や「高校」を舞台にしており、一見するとひどく局所的な世界観なのにも関わらず、海外からの評価も得ているという作品です(少年少女を主人公にした現代劇は、海外RPGにはほとんど見られません)。ハイ・ファンタジーやSFと比べても、奇矯性や異質さを前面に押し出した形となっているペルソナシリーズ。剣と魔法からの脱却、ファンタジーからの解放は、類型化からのもっとも簡単な脱出法といえます。

一方でこうした「特別な能力を持った現代の少年少女たちによる成長物語」といった設定が大勢を占めてしまうと、再びオリエンタリズム的視線が待ち構えている、という危険も孕んでいます。現代の日本という「異文明の文化に対しての憧れや好奇心」が、日本のRPGの全体におよんでしまうと、結局は新たな類型化が待っています。ジャパン・カルチャーのひとつとして、新時代の「ゲイシャ」や「ニンジャ」のような視線にとりこまれてしまうと、東洋のRPGという意味の“JRPG”になってしまうのです。

そうならないためには、ペルソナが“JRPG”の中でも異彩を放ち続けるような立ち位置であることが大事ではないでしょうか。逆にいえば、現代劇でも日本でもない「RPGらしい」世界観の作品はやはり必要だということでもあります。

2)リアル(=現実) - フィクション

コメント